┣☆妊娠26週目☆
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2011年03月12日
☆妊娠7ヶ月(26週) 大地震☆
みなさま、ご無事でしょうか?
昨日3月11日は、一生忘れられない日になりました。
地震があった時の事を記録に残しておきます。
昨日は本当は午前中だけの勤務だったのですが、
職員が1人骨折してしまったので、かわりに午後も出勤することになり朝から一日勤務でした。
午後は預かり保育で約50名の子どもを保育していました。
幼稚園の園舎とは別棟の、講堂でお預かりしていました。
15時からおやつを食べるため、玩具を片付けて順次子どもをトイレに行かせている時でした。
園舎に残っていた他の職員と警察官が、「地震!!」と言って講堂に入ってきたのです。
なぜ警察官がいたかというと、昨日は15時から、幼稚園の職員を対象にした防犯訓練が予定されていたからなのです。
凶器をもった男が園内に侵入するなどの想定で行われる訓練です。
なので最初、防犯訓練かと思いました。
でもすぐに、それは勘違いで、大地震が来たとわかりました。
講堂は大きく揺れ、パニックに陥る子どもたちを抱きかかえて一人ひとりに防災頭巾をかぶせ、真ん中に集める職員と、外に逃がす職員とで手分けして非難しました。
私は、まだトイレ内にいた子をとにかくトイレから出し、講堂の真ん中に集めていました。
パンツを脱いでいる子をそのまま両手に抱きかかえ、「もらしてもいいから、つかまってて」と言いながら走りました。(講堂、とっても広いんです)
無我夢中でした。
全員をトイレから出した時には、私ともう1人の職員、それに最後にトイレから出た5名くらいの子どもしか残っておらず、他は皆グラウンドに出ていました。
外に出ようにも、余震が大きくて動けない。
大変・・・取り残された・・・。
ぐらぐらと揺れる講堂の中で取り残され、そこで初めて「死の恐怖」と感じました。
建物自体がとても古いので、いつ天井が落ちてくるのか怖くてたまりませんでした。
「大丈夫だよ、先生が絶対に守るから。大丈夫、大丈夫」
子どもにもお腹の赤ちゃんにも言い聞かせるように、何度も「大丈夫」と言っていました。
本当はお腹を手で守りたかったけど、両手は園児でふさがれていたから、とにかく前かがみになってずっとしゃがんでいました。
揺れが落ち着くとすぐにグラウンドに非難し、そこからは保護者のお迎えを待ちました。
絶対に安全だと思っていたグラウンドにも地割れができ、余震は何度も続きました。
最初は泣いていたり不安そうだったりした子どもたちですが、徐々に落ち着きを取り戻し、職員が手分けして保護者と連絡を取ったり、簡易トイレを設置したり、子どもにコートを着させたり・・・とにかくやることがいっぱいでした。
園内は特に大きな破損はなく、被害はグラウンドの地割れと、敷地内にある教会の十字架がポッキリ折れたことくらいでした。
キリスト教の幼稚園に勤めていながら特に信者ではない私ですが、さすがにこのときばかりは「神様(十字架)が身代わりになって私たちを助けてくれた」と思わずにはいられませんでした。
ほんっっとう~に古い幼稚園なので、絶対に崩れるって思ってたんです。
だけど1人の怪我人も出なくて、本当によかった。
あっという間に1時間、2時間と過ぎ、その頃には少し余裕も出てきて、先生方が私にベンチコートやジャージ、ホッカイロを貸してくれたり、パイプ椅子を持ってきてくれたり、とにかく周りが心配してくれました。
先生方の気遣いがとても嬉しく、素直に甘えさせてもらって座ったら、どっと不安が・・・。
主人や家族は大丈夫だろうか?
家に帰れるだろうか?
これから先、どうなるんだろう・・・。
お腹の赤ちゃんは動いていたので元気だと分かって安心でした。
結局、電車が動かないので車出勤の先生と一緒に17時に幼稚園を出て、その先生のご自宅に泊めてもらうことにしました。
目黒区にある幼稚園から、いつもなら車で15分の距離なのに4時間かけてその先生のお宅に辿り着きました。
途中から停電で、信号はついていないしコンビニも真っ暗で閉まっている状態。
まさにゴーストタウンと化していました。
やはりその先生のお宅も停電していて、電気と水が通ったのは帰宅して1時間ほど経った頃でした。
それからは食事をいただいたりお風呂にも入らせてもらったりし、夜中の1時には布団に入りました。
その少し前に、6時間も歩いて帰った主人が無事家に着いたというメールをもらったので安心したのですが、なにしろ先生のご家族(お子さん2人、おばあちゃま)と雑魚寝だったので落ち着かず、携帯の緊急地震速報も夜中に何度も鳴るので一睡もできませんでした。
朝、電車の復旧が確認できたので、午前中には無事自宅に戻ることが出来ました。
主人の顔と、元気なペット(うさぎ)の様子を見て、初めて心の底から安心できたような気がします。
でもまた余震が来るかもしれないので、自宅待機で警戒しています。
ニュースでどんどん死者や行方不明者が増えていくので、心が痛みます。
自分や家族が無事だったからと言って、決して他人事とは思えません。
きっと、世の中にはこんな時に陣痛や出産を経験している妊婦さんや、大切な人を失った方もたくさんいらっしゃいますよね・・・。
べべちゃん(お腹の赤ちゃん)が大きくなったら、「あなたがママのお腹にいた時にこんなことがあったのよ」と昨日のことを話したいな、と思いました。
このブログを読んでくださっている皆様やご家族がご無事であることを、心よりお祈りします。
昨日3月11日は、一生忘れられない日になりました。
地震があった時の事を記録に残しておきます。
昨日は本当は午前中だけの勤務だったのですが、
職員が1人骨折してしまったので、かわりに午後も出勤することになり朝から一日勤務でした。
午後は預かり保育で約50名の子どもを保育していました。
幼稚園の園舎とは別棟の、講堂でお預かりしていました。
15時からおやつを食べるため、玩具を片付けて順次子どもをトイレに行かせている時でした。
園舎に残っていた他の職員と警察官が、「地震!!」と言って講堂に入ってきたのです。
なぜ警察官がいたかというと、昨日は15時から、幼稚園の職員を対象にした防犯訓練が予定されていたからなのです。
凶器をもった男が園内に侵入するなどの想定で行われる訓練です。
なので最初、防犯訓練かと思いました。
でもすぐに、それは勘違いで、大地震が来たとわかりました。
講堂は大きく揺れ、パニックに陥る子どもたちを抱きかかえて一人ひとりに防災頭巾をかぶせ、真ん中に集める職員と、外に逃がす職員とで手分けして非難しました。
私は、まだトイレ内にいた子をとにかくトイレから出し、講堂の真ん中に集めていました。
パンツを脱いでいる子をそのまま両手に抱きかかえ、「もらしてもいいから、つかまってて」と言いながら走りました。(講堂、とっても広いんです)
無我夢中でした。
全員をトイレから出した時には、私ともう1人の職員、それに最後にトイレから出た5名くらいの子どもしか残っておらず、他は皆グラウンドに出ていました。
外に出ようにも、余震が大きくて動けない。
大変・・・取り残された・・・。
ぐらぐらと揺れる講堂の中で取り残され、そこで初めて「死の恐怖」と感じました。
建物自体がとても古いので、いつ天井が落ちてくるのか怖くてたまりませんでした。
「大丈夫だよ、先生が絶対に守るから。大丈夫、大丈夫」
子どもにもお腹の赤ちゃんにも言い聞かせるように、何度も「大丈夫」と言っていました。
本当はお腹を手で守りたかったけど、両手は園児でふさがれていたから、とにかく前かがみになってずっとしゃがんでいました。
揺れが落ち着くとすぐにグラウンドに非難し、そこからは保護者のお迎えを待ちました。
絶対に安全だと思っていたグラウンドにも地割れができ、余震は何度も続きました。
最初は泣いていたり不安そうだったりした子どもたちですが、徐々に落ち着きを取り戻し、職員が手分けして保護者と連絡を取ったり、簡易トイレを設置したり、子どもにコートを着させたり・・・とにかくやることがいっぱいでした。
園内は特に大きな破損はなく、被害はグラウンドの地割れと、敷地内にある教会の十字架がポッキリ折れたことくらいでした。
キリスト教の幼稚園に勤めていながら特に信者ではない私ですが、さすがにこのときばかりは「神様(十字架)が身代わりになって私たちを助けてくれた」と思わずにはいられませんでした。
ほんっっとう~に古い幼稚園なので、絶対に崩れるって思ってたんです。
だけど1人の怪我人も出なくて、本当によかった。
あっという間に1時間、2時間と過ぎ、その頃には少し余裕も出てきて、先生方が私にベンチコートやジャージ、ホッカイロを貸してくれたり、パイプ椅子を持ってきてくれたり、とにかく周りが心配してくれました。
先生方の気遣いがとても嬉しく、素直に甘えさせてもらって座ったら、どっと不安が・・・。
主人や家族は大丈夫だろうか?
家に帰れるだろうか?
これから先、どうなるんだろう・・・。
お腹の赤ちゃんは動いていたので元気だと分かって安心でした。
結局、電車が動かないので車出勤の先生と一緒に17時に幼稚園を出て、その先生のご自宅に泊めてもらうことにしました。
目黒区にある幼稚園から、いつもなら車で15分の距離なのに4時間かけてその先生のお宅に辿り着きました。
途中から停電で、信号はついていないしコンビニも真っ暗で閉まっている状態。
まさにゴーストタウンと化していました。
やはりその先生のお宅も停電していて、電気と水が通ったのは帰宅して1時間ほど経った頃でした。
それからは食事をいただいたりお風呂にも入らせてもらったりし、夜中の1時には布団に入りました。
その少し前に、6時間も歩いて帰った主人が無事家に着いたというメールをもらったので安心したのですが、なにしろ先生のご家族(お子さん2人、おばあちゃま)と雑魚寝だったので落ち着かず、携帯の緊急地震速報も夜中に何度も鳴るので一睡もできませんでした。
朝、電車の復旧が確認できたので、午前中には無事自宅に戻ることが出来ました。
主人の顔と、元気なペット(うさぎ)の様子を見て、初めて心の底から安心できたような気がします。
でもまた余震が来るかもしれないので、自宅待機で警戒しています。
ニュースでどんどん死者や行方不明者が増えていくので、心が痛みます。
自分や家族が無事だったからと言って、決して他人事とは思えません。
きっと、世の中にはこんな時に陣痛や出産を経験している妊婦さんや、大切な人を失った方もたくさんいらっしゃいますよね・・・。
べべちゃん(お腹の赤ちゃん)が大きくなったら、「あなたがママのお腹にいた時にこんなことがあったのよ」と昨日のことを話したいな、と思いました。
このブログを読んでくださっている皆様やご家族がご無事であることを、心よりお祈りします。